株式会社INTERMEDIA 設計士
・ホテル「水脈mio」支配人
「水脈mio」WEBサイト
https://mio-shimabara.com
やりたいことに真っすぐ突き進んだ、
建築デザイン学科での学生時代。
建築設計スタッフとして長崎にあるアトリエ設計事務所に就職し、今は自分自身が設計に携わった島原市の古民家ホテル「水脈mio」の支配人の仕事もしています。
そんな私ですが、もともと出身は東京です。学生時代は武蔵野大学工学部建築デザイン学科で学びました。子どもの頃から、やりたいことがあったら何が何でも突き通す性格で、学生時代は、建築に常に興味が向いていました。学科の課題が多く、友だちとよく徹夜をしていたのを思い出します。当時は大変でしたが、思い返すととても楽しい日々でした。なかでも熱心に取り組んでいたのは設計課題の出る授業でした。建物の設計やコンセプトなどを一から考えて、模型やCGなども作ります。毎週、先生に案を持っていき、相談しながら進めていく中で、建物はどうあるべきなのか深く考えるきっかけにもなりました。
大学4年生のときに、卒業課題の制作のために長崎に取材に行きました。斜面地を敷地として計画したいと思い、坂道の多い長崎で、そのような設計に詳しい人や、市役所でまちづくりに携わっている人に話を聞きに行きました。その取材から、どんどんいろんな方を紹介していただいて、繋がりが増えていきました。
設計事務所のアルバイトもして多くの人と関わってきましたが、武蔵野大学での出会いは自分の中でとても大きいです。社会人になってからもよく会うのは、武蔵野大学で出会った友人です。
もっと色のある毎日を送りたい。
思い浮かんだのが長崎だったんです。
卒業後、最初は東京で就職しましたが、そこでの働き方が自分には合わず、なにかもっと自分らしく暮らしたいと思うようになりました。思い出したのは長崎でした。幼少期の夏に帰っていた長崎のおばあちゃんの家や風景がすごく心に残っていたり、卒業制作で長崎を訪れた縁もあり、移住を考えるようになります。背中を押してくれたのは、学生時代にお世話になった伊藤泰彦先生です。私の自由奔放な生き方を肯定してくれる存在がいたから、今こうして自分に合った働き方ができていると感じます。
長崎で入社した設計事務所INTERMEDIAは、お客様との深い対話を通して設計業務を進めていくスタイル。カフェであったり、地域の拠点施設であったりと、いろいろな建築の設計を担当させていただきました。地域の方と会話を重ね、どんな施設を望んでいるか、どんな施設があれば地域活性に繋がるかなど、細かな要望に寄り添いながら設計作業を進めることを意識していました。
3件ほど設計の業務に携わった後、今は私自身が内装の設計に携わった古民家ホテル「水脈mio」の運営・管理のお仕事をしています。もともとは島原市の公開プロポーザル(建築コンペ)で私たちの設計が選出され、設計のみを行う予定でしたが、島原市から「運営もやってみませんか」とお声がけいただいたこともあり、INTERMEDIAとしても、島原市を活性化したい、変えるきっかけをつくりたいという想いが強く、私たちが運営にも携わることに。そして、私が支配人になったんです。
いざ自分が支配人として運営の現場に入ってみると、キッチンや収納スペースの使い勝手など、設計だけをしていたときには見えなかったことがたくさんわかるようになりました。設計と接客、必要とされるスキルの違いなども感じながら、試行錯誤を続ける日々です。スタッフたちと一緒に、得意なことを伸ばし、苦手なことは否定せず、のびのびと働くことのできる空間をつくっていけたらと思っています。
人のための建物をつくることが建築設計。
「幸せをカタチにする」行為の一つ。
私が思う建築設計の理想は、建築物自体ではなく、実際に使用する人が主体であることです。たとえば、ものすごくかっこいい空間を使ったとしても、使う人にとって不具合が生じていたり、いろんな人への配慮が足りていなければ困ります。何かをやりたいという人の手助けができるような空間をつくりたいんです。建築主導ではなく、使う人中心の「人」主導で建てるということが一番大事だと考えています。
「人」主導の建築という考えは、武蔵野大学の「世界の幸せをカタチにする。」の考え方とも重なるものがあると思います。たとえば、INTERMEDIAでは障がい者施設や保育園の設計も手掛けていますが、障がいがある方たちや子どもたちに居心地のいい空間をつくることで、その人の生きる世界に働きかけることができます。設計を考える上で私たちが大事にしている、いろんな人たちを受け入れる姿勢、肯定していきたいという思いは、大学のブランドステートメントと重なっていると感じます。
「水脈 mio」では空間をお客さまに貸すということが仕事ですが、そこで思い思いに楽しんでもらうためには、周りの人や島原の自然が欠かせないと感じます。町には雲仙・普賢岳から水が湧き、提供している野菜も地域の農家の方がつくってくれています。多くの関わり合いの中で人間は生きているので、絶対一人では生きていけない。だれかに助けを求めてもいいんだ。一緒に物事に取り組んだ方がいいものができるんだ。そうやっていろんな人たちと助け合いながら生きていけるんじゃないのかなと思います。
武蔵野キャンパス1号館 製図室。
武蔵野キャンパス1号館3階にある製図室は、南里さんの卒業された学科である建築デザイン学科生が4年間を通して使用する教室です。設計課題を中心にした演習授業を行います。製図板と呼ばれる図面を描くための机が並んでおり、学生たちはエスキースという構想ラフスケッチをここで描いています。また先生と学生がゆったりと会話を楽しむことのできる教室でもあったようです。南里さんの学生時代の思い出の場所の一つで、製図室で課題について悩んだこと、次の授業で講評をいただくスケッチを頑張って描いていたことを思い出すと笑顔で話されていました。
そんな勇気をいただきました」
朗らかで優しい印象の方で、終始あたたかい空気の中お話を聞くことができました。自分自身、建築デザイン学科や建築を学んでいる学生の友人がいるのですが、設計業務の細かな過程や設計会社による依頼者の方とのかかわり方の違いなど、学生では知ることの難しい貴重なお話を聞けたことが嬉しかったです。また、のびのびとした働き方や暮らし方をお聞きしたことで自身の就職活動における見方も広がったように思います。
いろんな場所でいろんな人との関わりを持っていき、そこでの出会いをきっかけにどんどん自分の道を切り開いている南里さんの生き方はとても素敵だなと感じました。武蔵野大学の後輩として、南里さんのその行動力と自主的な姿勢を見習いたいと思いました。また、これから多くの選択がある人生、もっと自由に気楽に、自分が楽しいと思えることを探していけばいいと話されていたのが印象的で、就職活動が本格的に始まってきた今の私の心をスッと軽くしてくださいました。
長崎でのお仕事も「縁があって」と話されていましたが、単純に成り行きでということではなく、人を惹きつける魅力をお持ちだからだなとインタビューを通して感じました。生き方と働き方、環境がご本人の中でうまく作用していて、そんな南里さんをぜひ武蔵野大学の学生に見てもらいたいという気持ちで記事を書くことができました。建築デザイン学科の学生ではないですが、南里さんの考え方から多くを学びました。
私が印象的だったのが、南里さんが卒業しても大学のこと鮮明に覚えておられ、懐かしいと話されていたことです。大学生活の苦労話をされている際も笑顔で語られており、色褪せない場所として残っているのだと感じました。現在、武蔵野大学に通っている身として嬉しく思いました。自分も大学を卒業した後、振り返ってみたときに、ここに通っていて良かったなと思えるよう頑張っていこうと勇気づけられました。
取材日:2023 年8 月 所属・肩書等は取材当時のものになります。