聖路加国際病院 看護師
重症度の高い患者さんと向き合う仕事。
五感すべてを使い、理解することが大切です。
私が働いている聖路加国際病院は、東京都中央区の中でいちばん大きい病院で、120年ほどの歴史があり、ここを信頼してきてくださる患者さんも多く、地域の中でも主軸となっています。救命救急センターは、最も重症度の高い救急車まで受け入れており、24時間体制で救急車を直接受け入れるER(救急室)や、治療を行うICU(集中治療室)、HCU(高度治療室)があります。私はHCUに所属し、ICUより重症度は低いものの、重症化リスクの高い患者さんのケアを担当しています。患者さんの人数に対する看護師の人数は一般病棟よりも多く、12床のベッドの患者さんを、日中は6〜7人、夜間は4人の看護師で看ています。
通常はHCUの患者さんの身の回りのケアやお薬の投与などを行っていますが、HCU以外でも病院の中で患者さんの容態が急変したときには、スタットコールという全館放送で緊急招集がかかることもあります。そのコールが鳴ると、医師と看護師は部署に関係なく、その患者さんのもとへ向かいます。私も救命救急センターのスタッフとしてすぐに駆けつけ、心臓マッサージなどの救命処置を行います。
日々の看護では、患者さんを理解することが大切です。体のどこが、どのように痛むのか、患者さんの言葉からそれを汲み取ります。さらに目で見るだけでなく、手で触ったり、呼吸の音を聞いたり、時には匂いからも異常を感じ取るなど、五感すべてを使って、常に患者さんを理解しようと努めながら接しています。それでも想定外のことが起こることはあり、目の前で具合が悪くなられたときは動揺します。そんなときも、一呼吸おいて、冷静に対応できるよう心がけています。
最初は体を動かすことができず、人工呼吸器を装着している状況だった患者さんが、少しずつご自分の力で座れるようになり、立って歩くことができるようになり、HCUを出て行かれるまでに回復されたときは嬉しい気持ちになります。以前は重症だった患者さんが、一般病棟からご自分で歩いて挨拶に来てくださったこともあり、その時はとてもやりがいを感じられました。
学生時代の看護学部のみんなは家族のよう。
忙しい勉強を一緒に乗り越えられました。
学生時代は、武蔵野キャンパスで学びました。学生時代の中で今でも覚えており、役に立っていると思うのは、少人数でのディスカッションやグループプレゼンテーションを通じて学び合う授業でした。互いに意見を交換し、まとめた成果を発表します。あの経験は、今も同僚と話し合ったり協力し合う場面で生きています。
大変だった思い出は、実習です。病院に行って、実際の看護師のように、看護計画を立てて、朝から夕方まで患者さんの看護を実践します。緊張しました。何時に患者さんの体を拭いて、何時に血圧を測って何時に食事を食べる手伝いをして、といった看護計画は前日から家で考えていました。一日の実習が終わって家に帰ってからは、その日を振り返って記録します。患者さんの病気がどういう段階にあって、どういう治療をしているのかを夜遅くまで考えてまとめて、また次の朝早くから病院に行くという日々が大変でした。
恩師である香春知永先生が何度もおっしゃっていた「看護師がやることには根拠がある」という言葉が今でも印象に残っています。患者さんのこういう症状をよくしたいから、こういう処置をする、こういう話しかけ方をする、といったように、なぜそうするのかを常に考えなさいという意味です。その言葉を胸に、今でもそのように仕事をしており、大切な姿勢を学んだと感じます。 振り返れば、楽しかったなあと思います。ひと学年100人ほどの看護学部生は、みんなで一緒に同じ教室で授業を聞いて、ディスカッションをする日々だったので、仲間という以上に、家族みたいな親密さでした。資料を貸し合ったりしながら、レポートや国家試験の勉強を、図書館が閉まるまで一緒に取り組んだことも覚えています。一人だったら乗り越えられなかったと思います。あの仲間たちが私のモチベーションそのものでした。
この現場は医師に近い高度な技術と知識が必要。
もっと看護を追究していきたいです。
大学を卒業し、看護師になって現在13年目ですが、自信がついたのは5、6年経ってからです。もともと私は人とたくさん喋る性格ではないので、最初は患者さんとうまく接することができるのか不安だらけでした。新人時代は優秀ではなく、「もっと頑張らないと」と焦るばかりで、なかなか自信を持てませんでした。そんな私に、先輩が「あなたは看護師として素敵なものをもっている。だから続けたほうがいいよ」と言ってくださったことがあり、それが支えになりました。
その後、経験を積み、大学院でも学んで、今は自分が若手看護師を教育する立場になっています。今でも自分が新人だった頃に見守ってくださっていた先輩の温かさが心に残っており、私も後輩のことを信じて育てるように心がけています。以前、師長から「あなたがいてくれるおかげで、後輩が過度に緊張しないで安心して働けている」と言っていただいたことがありました。自分の特性を活かしながら教えることができているのかなと思いました。
聖路加国際病院には、向上心が高い看護師が多く、自分自身も刺激を受けられる環境です。救命救急の現場は一刻を争う場面が多く、ここでの看護は高度な知識と技術が求められます。医師と同じ本や論文を読んで治療や病気のことを勉強し続け、医療機器の知識も身につけて、今後も救命救急に携わり続けたいです。救急搬送されてきた患者さんに最初に向き合うERでの「初療」の知識や技術を高めたり、高度な医療機器を必要とする患者さんの看護の技術も磨きたい。後輩を育てるとともに、自分自身もまだまだ看護を追求できると思っています。
武蔵野キャンパス1号館大講義室。
三原さんが特に思い出深いと語ってくださったのが、武蔵野キャンパス1号館の大講義室です。同じ学年の看護学部生全員で授業を受けたり、国家試験対策の勉強会をしたことを話してくださいました。授業はもちろん、課外活動でも使われているこの大講義室は、最大180人も入ることが可能です。教壇から奥に向かって階段状になっており、大人数でも視界を遮られることがありません。
看護学部は現在では有明キャンパスに移転していますが、今でも1号館の大講義室は教育学部や文学部など、武蔵野キャンパス所属の学生たちの学びの場として使われています。多くの学生がここでたくさんの知識を得て、たくさんの友達をつくり、社会へと巣立っています。
三原さんの温かい人柄で心がほぐれていきました。」
実習や国家試験など、大学時代の大変だったことをお話しいただきました。大変な中でも、仲間と家族のような親密さで教え合い、一緒に乗り越えていったこと、そして最終的には思い出に昇華していったというエピソードに、芯の強さを感じました。大学生活を送る上では看護学部に限らず、全学部、さまざまな壁にあたることがあると思います。最終的には三原さんのように、大変なこともひっくるめて楽しかったと言えるような大学生活を送れたら、きっと忘れられない4年間になるのだろうなと思いました。
三原さんとのお話で感じた「優しさの中にある強さ」から、武蔵野大学の友人を思い起こしました。人の話を自分ごとのように楽しんだり悲しんだり、困ったことがあると話を聞いて助けてくれて、目標があれば必死で努力する。朗らかさと素直さ、芯の強さを併せ持った学生が多いように思います。私はいつもそんな友人たちに支えられており、三原さんのお話に共感しました。私も後輩とたくさん関わることで「優しさの中にある強さ」を次の代に受け継ぐことができるのかなと思いました。
三原さんの優しい人柄や看護師としての凄さがお話を通じてとても伝わってきました。お話の中で印象的だったのは、コロナ禍で患者さんとご家族の面会が制限されるなか、リモートを駆使して面会を行っておられたときのお話です。大変なときこそ、家族の顔が見れる、声が聞けるというのは、とても大切なことなのではないかと想像しました。会うことが制限されている時期でも、ご家族をできるだけつなごうという看護師さんたちの努力は、幸せをカタチにする挑戦だったのではないかと感じました。
三原さんへの取材を通じて感じた「武蔵野らしさ」は、チームワークと実務経験の重視、個人の成長を大切にすることです。学生同士や先生との連携、実習先での経験を通じて、知識の習得だけでなく、実践的なスキルやコミュニケーション能力を育むことに力を注いでいました。中でも看護学部は命に直面する人材を育む場所。患者さんのそばに立ち、患者さんを想う姿勢を先生から受け継いで、三原さんも成長されたのだなと感じました。
取材日:2023年8月 所属・肩書等は取材当時のものになります。