創立100周年記念事業
プロジェクトのご紹介

学生参加型イベント

学生・生徒がつくるコンテンツ 卒業生を訪ねる
プロジェクト

私たちの武蔵野大学はどんなふうに
歴史を刻み、成長してきたのだろう。
社会で活躍する卒業生を、
在学生、在校生が
訪ねました。
(このコンテンツは学生、生徒が
取材から執筆までを行っています)

伊藤 遥香(文学部日本文学文化学科3年)、三浦 楓(法学部政治学科4年)、 石橋 玲奈(経営学部経営学科4年)、 執筆参加:浅野 百音(工学部環境システム学科3年)

先輩の武蔵野愛を受け取り、
後輩へ繋げていきます!
今回、話してくださった先輩
1986年度卒業生
(当時・武蔵野女子大学短期大学部)
武蔵野市議会議員
東 まり子さん
プロフィール
1966年生まれ。武蔵野女子学院高等学校、武蔵野女子大学短期大学部卒業後、芸能プロダクションでのスポーツ出身タレントのマネジメント、保険会社勤務を経て、武蔵野市議会議員に。『いのちを大切にするまちへ』をモットーに活動中。プライベートでは2児の母。

市民の皆さんにとって役に立つ
「顔の見える政治家」であり続けたい。



 武蔵野市市議会は26名の議員で構成されています。全議員で審議する本会議以外にも、議員は文教・厚生・建設・総務委員会という4つの常任委員会に分かれて活動しています。私は厚生委員会に所属し、健康や福祉の領域を中心に審議しています。ふだんは武蔵野市役所に登庁して各専門部署へのヒアリングを行ったり、高齢者施設やコミュニティセンターなどを訪問して、市民の方々の意見をお聞きしたり、委員会で議題となることについて調査や勉強を行っています。市民の代弁者として議会に出席しているので、調査や政策につながる勉強は責務だと考えています。

 

 児童虐待の防止は私がずっと言い続けていることで、児童相談所の拡充を働きかけ続けています。高齢者や障害者も安心して暮らせるまちの実現にも力を入れています。また、市民の皆さんの声を受けて、鉄道会社に掛け合って、武蔵境駅nonowa口のオープン時間を延長してもらったり、駅前に喫煙トレーラーハウスという分煙の設備をつくって、受動喫煙とたばこのポイ捨てを防ぐ取り組みも実現できました。身近な道路の整備など、細かいことでも市民の声をきちっと実行することで、「助かってるよ」「ありがとう」と言っていただけることが何より嬉しい一時です。

 
 そして、私が大切にしているのが「顔の見える議員」であることです。議員としての活動を市民の皆さんに「見える化」したいという思いから、寒い日も暑い日も任期中は街頭での活動を継続しようと決めています。




今でも会う友人がいます。
4つ掛け持ちしたサークルでのつながり。



 私は高校から武蔵野で学びました。本当に懐かしく思い出します。武蔵野女子学院高等学校の頃は、体育祭で「荒城の月」の舞をしたことが、一番記憶に残っています。グラウンドの上を制服のまま舞うのですが、全身が汚れてしまうことも気にせずみんなで思いっきり踊りました。そのことを私の年代の人は、確かに覚えているはずです。今も写真を見るだけで当時の思い出が脳裏によみがえります。


 武蔵野女子大学短期大学部に進学して、当時人気だった文化英文専攻に入ることができました。中でもフランス語の授業を取ったとき、「シェルブールの雨傘」というミュージカル映画の歌を私がなかなか覚えられなくて、先生を困らせたことを懐かしく思い出します。小学校2年生の頃からピアノを習っていたこともあって、キャンパスにあったピアノをよく弾いていました。


 他大学にもたくさんの友人をつくりました。一橋大学のボクシング部のマネージャーをやったり、明治大学や立教大学、早稲田大学のサークルにも入っていました。そこで知り合った人たちと、当時流行っていたものに夢中になっていました。友だちを誘ってダンスパーティにも行きました。そこでできた繋がりは今でも続いています。当時のサークルの友人と今でもご飯を食べに行くこともあり、学生時代からの関係はやっぱり良いものだと思います。充実した2年間でしたが振り返ると、もっと勉強すべきだったなぁとも思います。宝の山のような武蔵野の図書館をもっと利用すればよかったと、反省しきりです。


互いに歩み寄り、理解し合うこと。
それが幸せをカタチにする第一歩。



 私はコミュニケーションにおいて、正直な気持ちを話すように心がけています。自分と相手は鏡のような関係で、格好をつけずに本当のことを伝えれば、相手もそれに応えてくれる。そんな考えを根底に持つようにしています。


 それでも本当に通じ合うことは、実のところ難しい。私は100周年記念事業のメインメッセージである「響き合う」という言葉を、「お互いによく理解する」という意味で受け止めました。大変感銘を受け、私自身も大事にしたい、まさに政治家の使命のように感じます。「世界の幸せをカタチにする」という武蔵野大学のブランドステートメントにもあるように、自分だけが良いという考えでは、自分も世の中も良くなりません。これから超高齢化社会になっていく日本では、さまざまな年代の人が共存していく必要があります。まさに響き合う世界じゃないと、生活しづらくなってしまう。心の余裕も持ちながら人を思いやる。譲り合って、共存する。その心をすごく大事にしたいと思います。


 ご縁があって、この大学を卒業できたことをとても嬉しく思います。まもなく100年となる歴史のなかで、共学になったり、有明キャンパスができたりと、時代に合わせて変化している。私は卒業してからも、「今、武蔵野大学がこんな良い大学になっている」ということが誇りになっています。私自身も、それに恥じない人生にしていきたいですし、今の学生も、武蔵野大学で学んだことを自信に、これからを生きていって欲しいと思っています。

Musashino Memories
スカートを靡かせて裸足で地面を蹴って、
美しく力強く舞う「荒城の月」

東さんが高校時代の思い出として話してくださったのが、体育祭の演目「荒城の月・幻想」です。それは「荒城の月」の演奏とともに、制服姿で、扇を片手に裸足で踊る3年生の学年種目。見に来てくださった保護者や地域の方々も感動する、地元でもちょっと有名な演目でした。繊細ながら力強い動きを持つ踊りはすごく大変で、クラスメートとたくさん練習したそうです。制服のまま踊るため、スカートもグラウンドの土で汚れますが、そんなことを気にせず踊る3年生の姿に1・2年生は憧れて、次は自分がと、先輩から後輩へと受け継がれてきた舞でした。武蔵野女子学院高校に伝わり続ける武蔵野魂なのだと感じました。現在は高校も共学になったこともあり、「荒城の月」から「悠久の風」という種目に変更されています。男子学生は青い法被をまとい、女子学生は制服を身に着けたまま、力強く演技をする種目。形や名前が変わっても、変わらない武蔵野魂。これからもずっと受け継がれていくでしょう。

「取材・原稿制作を終えて」
「初めて来た市議会。緊張しましたが
東さんが明るくほぐしてくださいました」

取材前に武蔵野市議会を見学させていただき、赤い絨毯の議場では神聖ささえ感じました。取材では、東さんの活き活きとした強さを感じました。私は将来、多くの人に物事を伝える力のある人になりたいと思っており、そのことを相談したところ、東さんは「百聞は一見に如かず。まずは自ら体験をして自分の経験として落とし込むこと。そうすれば自ずと伝わるようになる」と助言をくださいました。将来に踏み出す勇気をいただきました。

(法学部 政治学科 4年 三浦)

私も東さんのような行動力を身につけたいと思い、新しいことを始めるときは、どう自分の背中を押せばいいかを相談しました。ご縁があるところ、自分に合った居場所はだんだんと見つかっていくから、まずはチャンスがあれば飛び込んでみればいいのではないかとアドバイスをいただきました。学生時代の経験を、今も誇りを持って体現している方だと感じました。私も武蔵野で学んでいることや、これまでの自分の挑戦に自信を持っていきます。

(文学部日本文学文化学科3年 伊藤)

武蔵野大学を「時代の変化にきちんと対応している学校」と話されていたのが印象的でした。私が所属する環境システム学科も昨今の持続可能性やSDGsの考え方の重要性から、サステナビリティ学科へと一新します。大学や学科が時代とともに変化していくように、私自身も変化の波に乗れるように大学での学びを大切に、卒業後も自信と誇りを持てるような武蔵野生でありたいと感じました。

(工学部環境システム学科3年 浅野)

取材日:2022年12月 所属・肩書等は取材当時のものになります