(当時・武蔵野女子学院高等学校)
IDP Education 広報・
マーケティングマネージャー
英語4技能試験「IELTS(アイエルツ)」を
日本で広める仕事をしています。
私は今、IELTS(アイエルツ)という試験を運営するIDP Educationの日本支社で、広報・マーケティングマネージャーをしています。IELTSは世界で最も多くの政府機関、教育機関、専門団体に受け入れられているグローバルスタンダードの英語4技能試験です。自分の英語力を証明できることから、留学・移住の目的のほかに、日本の大学入試でも活用され、注目されています。IELTSのことをもっと知ってもらうために、私はSNSを更新したり、プレスリリースを配信したり、イベントを行うなど、広報やマーケティングを担当しています。
IDP Educationはオーストラリアの会社なので、海外メンバーと、リモートでミーティングを行うこともあります。ハロウィンの頃に行われたミーティングでは、全員が本気の仮装をして真面目に仕事の話し合いをする場面がありました。私の中にはオーストラリアで育んだアイデンティティーが強くあるので、そんなオーストラリアらしいユーモアを感じて働けることを、とても嬉しく感じます。また、留学に行った経験が今の私をつくっているので、留学に行く人たちをサポートできることもやりがいに感じています。
私が仕事をする上で大切にしていることは、「なんでもポジティブに」ということです。新しい仕事についたり自分の考えを人に伝えていく上で、もちろん大変なこともありますが、それが今すぐではないとしても、いつかきっと自分の糧になると思いながら、まずはトライすることを心がけています。
高校時代に留学したオーストラリアが、
第二の故郷になりました。
これまでいくつかの企業での仕事を経験しながら、いつも何らかの形でオーストラリアに関わっていたいと思い続けてきたのは、高校時代の短期留学がきっかけです。高校1年生のときに、前の席に座っていた友だちから留学の話を聞いて、「私も行ってみようかな」と軽い気持ちで決めた留学でした。そのときは、まさかこんなにも大きく私の人生に影響を与えてくれるとは思ってもいませんでした。
最初に行った高校1年生での短期留学が衝撃的な体験でした。目の色も髪の色も違う家族と一緒に暮らす初めての経験。私の英語はまだ拙かったのですが、それでも頑張ってコミュニケーションをとれば、私の言ったことで笑ってくれたり、帰る日にはホストファミリーのママが泣いてくれたり。通じ合えることにすごく感動しました。
もっと英語を話せるようになって、さらにオーストラリアを理解したいと思い、高校2年生で再び長期留学に行きました。このときも、紆余曲折あって、短期留学のときにお世話になったホストファミリーが途中から支えてくれることに。それがありがたくて、私も家事を手伝ったり、日本の文化に触れてもらえるイベントをしたり、自分なりに家族の一員になれるように努力しました。帰国するときにホストファミリーからもらったカードには、“Your Australian Family(あなたのオーストラリアの家族より)”と書いてありました。オーストラリアに家族ができたんだと、すごく嬉しく感じたのを覚えています。今では、現地の空港に降りると「帰ってきた」と思える場所で、第二の故郷だと思います。
受け止めてくれる人がいた。
だからどんなときも頑張れた。
初めての海外でさまざまな挑戦ができたのは、帰る場所「武蔵野」があったからでした。急に決めた留学でしたが、当時のクラスではサプライズパーティーを開いて送り出してもらい、アルバムをもらいました。現地で孤独なときは、そのアルバムをめくって、自分は一人じゃないと言い聞かせていました。温かい帰る場所があったからこそ、見知らぬ外の世界で頑張れたのだと思います。
帰国後、推薦受験で第一志望の大学に受からず落ち込んでいたときは、「努力は成功は保証しないけど、成長は保証するよ」という言葉をかけてくださった先生がいました。それで気持ちを切り替えて、一般受験に臨むことができました。この言葉は、その後の人生で困難に直面するときに思い出しています。大学生になってからも、壁にぶつかったときは、よく武蔵野に来ていました。悩んでいる私を「うんうん」と受け止めてくれる先生たちがいました。私にとっての武蔵野は、活躍していても、していなくても、元気でも、ちょっと元気がないときでも、「あなたはあなたでいいんだよ」と言ってもらえる温かな場所。次は先生たちに少しでも成長した姿を見せられるように、もうちょっとがんばろうと、帰る頃には気持ちが上向きになっていました。
私はこれからも、オーストラリアと日本の架け橋になっていくことが、自分なりの国際貢献なのかなと思っています。高校時代の留学中、「君と出会って日本という国を捉えなおしたよ」と言ってもらえたことがあり、人の交流が国の印象を変えるのだと感じました。小さな交流が、大きな平和につながっていくかもしれない。この気持ちを持ちながら、これからも一つひとつの仕事に取り組んでいきたいと思います。
今も変わらない「紅雲台」。
梅原さんは中高の6年間、茶道部で活動していたそうです。お茶室のある「紅雲台」を思い出の場所として挙げてくださいました。茶道のお稽古だけでなく、部のメンバーと楽しくおしゃべりしていたこともいい思い出だそうです。文化祭ではお茶会を開き、たくさんのお客さんの前でお手前を披露し、家族や友だちにも来てもらったそうです。「お手前ってかっこいいね」と友だちから言われたことが印象に残っているそうです。今も紅雲台は変わらず残っており、今の茶道部メンバーも、紅雲台で活動をしたり、おしゃべりをして過ごしています。
重要性に気付くことができました」
私は今回の取材を通して、梅原さんの自分の芯を強く持っている姿勢がかっこいいと感じました。その芯の中にオーストラリアという梅原さんにとってのアイデンティティーがあり、どんなに苦しいことがあっても乗り越えて来られたのだと思います。私も、部活や勉強、興味のあることに全力で取り組むことで、自分の人生の中心となる大切なものを見つけていきたいと思います。
梅原さんのように、留学に行ったり、いろいろな企業に勤めたり、挑戦をし続けられる人に自分もなれたらいいなと思いました。また、困難があったとしても諦めずに向き合って得意に変えられる姿に感動したので、私も今は進路や勉強などでたくさん悩むことが多くありますが、諦めずに自分と向き合っていこうと思います。
梅原さんは、たくさんの経験をしたことにより、自分のやりたかったことを叶えることができていたので、とても尊敬しました。現在、私は高校2年生で、進路を決めなければならないのですが、かなり迷ってしまっているところがありました。けれど、梅原さんのお話を聞いて、些細な勇気と自分の行動が将来につながるということもあるということを、気づくことができました。これからは、様々なことに積極的に挑戦していきたいと思いました。
取材日:2023年12月 所属・肩書等は取材当時のものになります