和太鼓奏者
求められるものに応えるため、
立ち止まってはいけない仕事。
私は現在、和太鼓奏者として活動しています。活動は公演の日もあれば、公演に向けたリハーサルの日、10代から70代までが所属する和楽器教室での指導の日、自身の演奏技術を磨く日など、日によって様々です。
公演でも指導でも、和楽器を通じて相手に活力を与えることができた瞬間には喜びを感じます。「元気が出た」「感動した」「夢中で音色を聴いていた」「次の日の活力になる」といった感想を聞けたときにはすごくやり甲斐を感じます。和楽器教室であれば、生徒さんたちがレッスンの時間を心から楽しんでくれて、和楽器を自分の生活になくてはならないものだと感じてくれたときが励みになります。
和太鼓の演奏では、舞台によって求められるものが変わります。私は国内と海外の舞台に立った経験がありますが、国によってお客さんの反応がまるで違うんです。日本のお客さんは演奏を静かに座って聴いて楽しんでいる一方、海外のお客さんは立ち上がって声を出して楽しんでいる。曲が盛り上がるタイミングも国によって異なります。時には曲の途中で演奏を終わらせるような臨機応変さも求められます。舞台の環境や反応によって、魅せ方を変えていくことが重要であると感じています。
奏者は技術職。プロとしての高いパフォーマンスのレベルはベースとして、それよりもさらに上のレベルを提供できるようにすること、そこに向かって腕を磨くことが大切。とにかく立ち止まってはいけない職業。日々の練習で打ち込み、鍛錬する姿勢が大切だと思います。長時間の舞台でも最後まで打ち切る、演奏におけるタフさが自身の強みだと感じています。
和太鼓同好会を立ち上げたときは、
練習場所の確保が大変でした。
武蔵野大学時代のことで思い出に残っているのは、和太鼓同好会を設立したことです。今は多くのクラブや同好会があると思いますが、私の頃はまだ少なく、入りたいものが見つかりませんでした。それならば、自分が子どもの頃から続けている和太鼓を、やりたい人を集めてやってみようと思ったのがきっかけです。
声をかけると25人ほどが集まってくれたのですが、そこからは苦労が多かったです。非公認団体のため、大学からの援助も受けられなかったので、太鼓を揃えるお金をメンバーから集めるのも大変。練習場所もなく、教室で叩いていると隣の教室の先生からお𠮟りを受け、うるさくならないように太鼓に毛布をかけて叩いたりしたこともありました。
創設メンバーの私たちには先輩もいないわけで、自分たちで問題を解決しなければなりませんでした。何が正しいのかもわからずに進むのは不安でしたが、一つひとつメンバーの意見を聞きながら進んでいきました。でも、その苦労を乗り越えて、摩耶祭に参加し、みんなで演奏したことはよく覚えています。
教育学部では、ピアノが全くできなかったのに、和太鼓をやっているとアンケートに書いたために、ピアノが得意な学生のクラスに入ってしまって、音楽の先生にご迷惑をおかけしながら頑張ったことを覚えています。ゼミは高橋一行先生のアフリカ音楽のゼミで、ゼミ長を務めました。教育実習では子どもたちが可愛くて、卒業後の進路を悩むほど有意義な時間を過ごしました。教育学部で学んだことは、今、和楽器教室での指導にかなり生きていると思います。
見ているだけじゃなく、現場へ。
ぐいぐいと進んでいこう。
大学の同好会活動とは別に、私自身は和楽器芸人の先輩たちとの演奏活動にも参加していました。その先輩たちに憧れて、自分もプロの音楽家として生きていきたいと思い、卒業後は和太鼓奏者の道を進んで今に至ります。こうして好きなことを仕事にできていることが幸せであり、さらにパフォーマンスを通じてお客さんに生きる活力を伝えられたときは、お客さんを幸せにできていると感じ、それがまた自分にとってすごく幸せな瞬間になる。これが今の自分にとっての「世界の幸せをカタチにする。」です。
いろいろな学生がいろいろな挑戦をして響き合ってきた、そのぜんぶをひっくるめてできているのが武蔵野大学の100周年なんだと思います。私がいたのは4年間ですが、和太鼓同好会の創設も、教育学部での学びも、100年の響き合いの一つのピースになれたことが嬉しいです。私が学生だった頃よりも学部や学科は増えて、学生の皆さんにとってはさらに多くの可能性が広がる場になっていると思います。自分とは違ったものの見方や他学部の学びにも触れたり、総合大学の良さを活かしてほしいです。
そして、テレビなどで見ているだけでなく、自分がその場に行って、現場の話を聞いて、自分で経験する濃い時間を過ごしてほしいと思います。いろいろなところに顔を出して、人と出会っていくうちに道は見えてきます。4年間で行けるところまでぐいぐい進んでいってください。私自身は、10代、20代の次の世代にもっと夢を与えられる演奏家となって、伝統芸能を継承していくことを目指していきます。
武蔵野大学 公認同好会「和太鼓 隼」
塚本さんが創立した同好会「和太鼓 隼(はやぶさ)」は、今は大学公認のクラブとなって、今年で10代目になります。創立時の練習場所は武蔵野キャンパス4号館で、防音対策として毛布をかけて練習していたそうですが、今は第一体育館の地下武道場で思いっきり叩けるようになっています。部員は現在11人。大学から和太鼓を始めた人がほとんどで、学部も学年もバラバラですが、みんなで心と音を揃えて演奏しています。ここ数年はコロナ禍で演奏が制限されてしまいましたが、以前は老人ホームでの演奏からハワイでの「Pan-Pacific Festival」での公演、ドラマへの出演と幅広く活動をしていて、塚本さんの兄で和太鼓奏者でもある鷹さんの演奏会へのサポートを行ったことも。未経験者でも和太鼓を始められて、いろいろな繋がりや経験ができる場所です。2022年からは摩耶祭での演奏も再開しています。
私たちも熱い気持ちになりました」
国内外での演奏に対する反応の違いに関するお話が印象的でした。日本人のように奏者に集中し静かに演奏を聴くことも、海外のように声を上げ盛り上がることもどちらも間違っていない。だからこそ演奏する環境や観客の反応に合わせ、その場で臨機応変に演奏を変化させていくことは誰にでもなせる業ではないと感じました。求められる演奏を可能にするため日々鍛錬を重ねる塚本さんの姿勢は奏者でありながらアスリートのようにも見えました。
自ら道を切り開くような行動力ある人になりたいと思いました。私はやりたいことを思いついても、壁にぶつかることを恐れてなかなか行動できません。塚本さんは「やりたいサークルがなかったからつくった」と話されていたのですが、それを実現する行動力や、どんな困難でも乗り越える突破力があるところに憧れました。私も壁を恐れずに乗り越える勇気を持って行動しようと思いました。
昨年、大学祭で「隼」のパフォーマンスに圧倒されたのを覚えています。まさか、その創設者に会えるとは。和太鼓に真摯に向き合う姿勢や衣装を着た筋骨隆々の姿にとても憧れます。わずか3メートルほどの距離で太鼓の音を聞けたのも印象に残っています。体の芯から高揚感に満たされるようでした。演奏会でのパフォーマンスを想像するとそれだけでワクワクします。いつか生演奏を聴きに行きたいです。
今回のインタビューを通じて、和楽器に触れる貴重な経験ができました。和太鼓に対する情熱と感動が伝染し、パフォーマンスについてのお話からも太鼓の迫力や魅力が伝わってきました。また、塚本さんの積極的な姿勢や挑戦に触れることで、自分自身にも新たな気づきを得られたように感じます。取材を通じて、新しい刺激や感動をいただきました。
取材日:2023年6月 所属・肩書等は取材当時のものになります